東欧旅行記21日目 ハンガリー・ブダペスト 初日本人宿
7カ国目、ハンガリー。
スロバキアでトイレ休憩したけど、行った国に入るかね?
朝早くブダペストに到着。
新しい国に降り立つ時は、いつも緊張する。
でも今回は日本人宿に予約しているので、いつもより気分が楽。
実は、今まで日本人宿はあえて避けていた。
群がる日本人の習性、人見知りの私にとって、辛い環境になることは容易に想像できた。
それでも日本人宿を選んだのは、アイスランドの火山の影響の情報が欲しかったから。
日本人パッカーの間で超有名な『アンダンテホステル』。
私は知らなかったけど、特に日本食のシェア飯が有名らしく、早速シェフで旅人なのに、ここのスタッフのMさんに声をかけていただいた。
半分うれしく、半分憂鬱な気分で、『お願いします』と答えたが。
ここは宿泊客だけでなく、ハンガリー在住の日本人留学生や、日本好きのハンガリー人の方も出入りしていて、すでに出来上がってる輪に中に入っていくのは辛かった。
久しぶりのまともなごはんは本当においしかったけど、やっぱり、だめだ。
2016年5月追記
この旅行記は2010年3~4月のものです。
『美しき青きドナウ』は、青くなかったですが優雅でした。
シェア飯は、宿泊者が買い出しに行って、Mさんが全員分のごはんを作ってくれ、割り勘でお金を徴収といった感じでした。
東欧旅行記旅の途中 ヨーロッパのトイレと私の地味な戦い
ヨーロッパの旅で困るのは、トイレにお金がかかること。
ものすごくトイレが近い私には切実な問題なのだ。
特にユーロ圏じゃない国だと、次の国に行く頃にはお金がギリギリになり、 その中でトイレのお金をどうキープするか、私は密かに戦っていた。
一度だけ、お金を入れたらドアが開くトイレで、孫を連れたおじいさんの背後について、お金を払わずしれーっと入ったことがある。スイマセンデシタ
トイレは場所によって金額が違ったり、店の中でもお金がかかるところと、かからないところが ある。
国境越えに使っていたバスもトイレがあるのに使用禁止で、2~3時間おきのトイレ休憩が 待ち遠しかったが、ここで気を抜いてはいけない。
国境を越えてる場合、ユーロ圏でなければその国の通貨を持っていないことになる。
もちろん、今どこにいるのかわかるわけもなく、常にスリリングなのだ。
幸い、最悪な展開になることはありませんでしたが。
生まれ変わったら、ヨーロッパのトイレでお金受け取るおばちゃんになりたいわ~。
って思うほど、腹立つわ~(特に意味はありません)。
今思えば、余裕持って両替すりゃいいじゃん、て感じだけど、何せ貧乏旅行だったのでストイックだったなあ。
日記を書くにあたり、改めて旅の写真を見返してみると、ろくなもん食べてない…。
旅に出ると、お菓子は甘い物よりチップス系に走る。
たいがいサワークリームオニオンね。
東欧旅行記20日目 チェコ クトナー・ホラのカタコンベ
朝、同室のご夫婦と一緒の席でごはんを食べた。
意外にタイの方だった。さすがほほえみの国の人だ。
タイランドと台湾を聞き間違え、タイには行ったことないのに『行ったことある』と言ってしまった。
途中で間違えに気づいたけど、訂正する英語力もなく、最後まで話を合わせた泣
プラハから電車で1時間、クトナー・ホラ、セドレツの教会にやって来た。
ここは礼拝堂の中が人骨で装飾されている。
恐怖感などは全くなく、逆に骨の装飾は自虐的なブラック・ユーモアさえも感じられた。
よく見ると、当たり前だけど、一つ一つ頭蓋骨の形が違う。
日本では遺骨は大切にされるけど、外国では魂と肉体は別物という考えで、肉体はそこまで 重視されない、みたいなのがあったっけ。
私はそっちの方が好きだけど。
でもここにいる骨はさみしくないね。
夜行バスでブタペストへ。
バスの待ち時間にホステルの近くにある丘に登って、プラハの街を眺めていた。
う~ん・・・やっぱり何にも感じない。
バスターミナルでばったりビターに会った。
ビターはベルリンに行くそうだ。いろいろありがとね。
2016年5月追記
この旅行記は2010年3~4月のものです。
『クトナー・ホラ』という地名がすでにホラー。
でも骨とかミイラとか好きなんで、楽しかったです。
ご夫婦はきっと中華系の方だと思い込んでいたのが、間違いの始まりです
東欧旅行記19日目 ぷらぷらプラハ
6カ国目、チェコ。
ビターと一緒に観光しようと約束したのに、起きてこなかったので一人で出かけた。
家に電話して、初めてアイスランドの火山噴火を知る。
プラハは重厚感がある。
でもやっぱり、世界的に有名な観光地は好きじゃないなあ。
たぶんものすごい景色を見てるんだろうけど、すでに飽きている。
パーっと来て、パーッと帰るツアーなら、そんなことないんじゃろうけど。
嫌々、プラハ城に登ってみた。それにしても・・・
ヨーロッパ、工事しすぎじゃろお観光シーズンに向けてなんかしらんけど。
行くところ、行くところ、ま~あ工事しょうる
でもカレル橋はもう2年くらい工事してるそうで。
何でも端から半分ずつ工事してたら、真ん中で段差ができてて、やり直しって、すれ違った日本人団体客のガイドさんが言ってた。
チェコ人、いい仕事してませんね~
2016年5月追記
この旅行記は2010年3~4月のものです。
飽きるって・・・ほんとモッタイナイ私のバカ。
でも疲れてたんでしょうね。長旅には何もしない休養日が必要です。
東欧旅行記18日目 チェコ・プラハへ
プラハ行きのバスのチェックインする為、行列に並んだけどなかなか進まない。
発車5分前になってやっと順番が回ってきたけど、受付のおねえちゃんがチケットを見るなり深刻な顔で『早く行って!』と言うではないか。
チェックイン、いらんかったん?
走ってターミナルに行き、ウロウロしていたら、親切な黒人さんが『プラハに行くのか?』と 話しかけてくれて、プラハ行きは途中で乗換えがあることも教えてくれた。
いつも誰かに助けられる。ほんと、ありがたい。
意外に時間がかかって、プラハに着いたのは夜の9時すぎ。
しかもバスターミナルではなく、その辺の道端に下ろされた。
ここ、何処?オイラは宿無し。
ヨーロッパ3000円の宿で、一応チェックはしていたけど、私はバスで知り合ったポーランド BOYとブラジリアンBOYに、何となくついて行くことにした。
3人で地下鉄に乗る。不思議な光景。BOYSは英語で会話。
ブラジリアンBOYが予約しているホステルに向かうが、BOYSも道がわからず、人に聞いたりしてる。
みんなやっぱり迷うんだ。ちょっと安心。それにしても・・・
ついて行くだけって、楽~
ホステルに着いて、ブラジリアンBOYとチェコビールを飲みに行った。
ポーランドBOYは明日フランスに行くということで来なかった。
彼の名はビター。ブラジルでシェルのマネージャーをしているそうだ。
ビターはおじいさんがポーランド人で、3ヶ国語話せて、今はポーランド語を勉強中らしい。
日本のガキ使が大好きで、『ハマダ、ハマダ』言うてた。
ホステルは男女混合部屋だったけど、同室のアジア人のご夫婦がとても優しい方で安心した。 居心地も悪くない。
この旅でいちばん実感したこと。
寝るところがあるって、ほんと幸せ。
2016年5月追記
この旅行記は2010年3~4月のものです。
今の私だったら、チェックインはスルーし、ビールも飲みに行きませんね。
この頃はまだ律儀な日本人でした(^_^;)
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東欧旅行記17日目 ワルシャワで何故か大統領の葬儀に参列
ポーランドはアウシュビッツだけでよかった。が。
大統領の事故死で大騒ぎになっている今、首都ワルシャワの様子が見たくなった。
行ってきました、列車で日帰り、往復約7時間。
大統領官邸に向かって歩いていたら、道路は歩行者天国で大勢の人。
なんと、告別式当日だった。
不謹慎ながら、テンション上がった気分は日本代表。告別式に参列しちゃってるよ。
葬儀は官邸の中で行われていて、外には大画面で中の様子が中継されている。
並べば一般人も棺の近くまで行けるみたいだったけど、帰りの列車の時間があるので断念。
ポーランド娘。によると、とても人気のある、いい大統領だったって。
思わぬところで、また死に触れた。
久々の都会でZARAに行った。買い物してーっ
クラクフに戻って、駅の横に似つかわしくないショッピングモールがあるのに気づく。
建物はポーランドにしては近代的で、またZARAに行った。(ZARA好き)
韓国で欲しくて買わなかったストールがあったけど、また買わなかった。未だに後悔
買い物してーっっ
2016年4月追記
この旅行記は2010年3~4月のものです。
こうやって予定を変えられるのがひとり旅のいいところ。
当時、日本の鳩山首相(だったと思う)は葬儀に来なかったので、私が首相代理気分でした。
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東欧旅行記16日目 アウシュビッツ再び。
しつこいけど。
こないだ入らなかったところに入ったり、ポストカードを買ったり。
お姉ちゃんに本でも買って帰ろうかと思ったけど、どれもイマイチ。
アウシュビッツに行きたいと思うようになったのは姉の影響。
正直、アウシュビッツの歴史はよく知らない。
でも自分の目で見たかった。
飛行機がだめなお姉ちゃんに代わって、私が来たよ。
アウシュビッツはクラクフからローカル列車で往復約4時間。料金は500円程度。安っ!
2016年4月追記
この旅行記は2010年3~4月のものです。
まだこの頃は東南アジアのローカル料金を知らなかったので、500円で安いと感動してました。
前回は途中からジョンさんと一緒にまわったので、2回目は自分のペースでじっくり時間をかけて見学できたのでよかったです。ヒトラーの写真の顔が破られているのが印象的でした。
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